ゲーム業界そのものの未経験者がその道での独立を決意
高校を卒業してゲーム制作系専門学校、もしくは類似の学部がある大学に進学してゲーム会社へ就職する…という一般的なルートを親の反対によって断念した筆者が、何がきっかけで再びゲーム業界を目指そうと思ったのか。筆者の実体験を元にしたコラムですので、ちょっとした読み物としてリラックスしてお楽しみください。
もし似たような境遇の方がいれば、この記事を読んで共感したり、自分も夢に向かってやったるぜー!ってなれば幸いです!
結構前置きが長いので、すっ飛ばして本編 行く理由が無かった大学を卒業、そして就職へ からお読み頂いても良いかもしれません・・・。
中学時代からゲーム制作の楽しさに触れる
私には中学生時代から「将来はゲーム業界で働きたい」「ゲームクリエイターになりたい」という夢がありました。当時はまだパソコンを持っておらず、PCでゲームを作る選択肢はありませんでした。しかし幸いにも、家庭用ゲーム機ではRPGを簡単に作れる「RPGツクール」シリーズやシューティングゲームを簡単に作れる「デザエモン」シリーズが出ていました。
中学生時代は「デザエモン」にハマり、ひたすらシューティングゲームを作っては友達にプレイさせたり、ビデオテープに録画して学校に持っていって色々な人に見てもらってました。その時は、とにかく自分でゲームを作ることが、ゲームで遊ぶ以上に楽しかったのです。私に限らずゲームクリエイターになる人というのは、ゲームを遊ぶ以上に「作る方が楽しい」と思えるタイプなのだろうなぁと思います。
高校生になってから将来何がしたいか具体的になる
中学時代はシューティングゲームを作る「デザエモン」に打ち込みましたが、高校に入学する直前にプレイステーション用ソフト「RPGツクール3」と出合います。兼ねてからRPGを作ってみたいとは思っていましたが何となく難しそうって思っていたのと、前作「RPGツクール2」が定価12,800円と中学生にはちょっと高かったので触れずにきていました。ですが「RPGツクール3」は定価5,800円と安かったのと、ちょうど親戚から高校入学祝い金を貰ったこともあり迷わず購入。
さて「RPGツクール3」で初めてRPGを作ることになったわけですが、これがなかなか複雑で色々と覚えることが多くて大変だと感じました。しかし短編ゲームを何本か作っていくうちにコツを掴み、いつの間にか自在に作れるようになっていました。もっとも家庭用ゲーム機向けの開発ツールなので、PC向けの物と比べるとできることは限られていますが。
ただ本質はPC向けのそれらと変わりません。プログラミングは不要ですが、シナリオを組み立てていくのはそれなりに頭と体力を使います。ゆえに簡単にゲームを作れるといっても、よほどの情熱が無いと続かないと思います。私が「ゲームで遊ぶことが好きなだけ」のプレイヤーだったら多分、高校3年間も続けてなかったと思います。もちろん私が作ったゲームを遊んでくれる友達に恵まれたという点も大きいですが。
さて、そんな私ですが高校を卒業した後の進路についても考えないといけない時期に差し掛かりました。その時、私は自然に「将来はゲームクリエイターになりたい。そのために専門学校に行きたい」と考えました。
更に『デザエモン+』でドット打ちがヘタであること、『RPGツクール3』でシナリオをイベントとして形にしていく工程は楽しいと感じていた点から「適正はプログラミングにあり!」と考えプログラミングコースに進もうという所まで考えていました。
父親にゲーム制作系専門学校への進学を拒絶される
これほどまでにゲームを作ることが好きで、ゲーム制作に明け暮れた中学、高校生活を送った自分はこの道以外の選択肢はないと考え、進路は専門学校を希望しました。しかし父親に猛反対を喰らいました。理由は父親が「大学進学こそが絶対であり、大学進学こそが正義!専門学校などあり得ない」という考えを持っていたからです。大学に進学することは許されるというか、それしか選択肢は与えないという姿勢でした。食い下がりましたが説得は無理でした。
無理やり大学進学させられても続かなかった
なんやかんやで大学に進学しました。しかし、私は入学してからも自分が望んだ進学先ではなかったので当然やる気(通う気も、卒業する気も)はありませんでした。入学前から母親には、卒業する気がないことは伝えてありました。
大学入学後、予定通り不登校になり、引きこもりになりました。大学1年目のゴールデンウィーク過ぎからは一回も大学に行ってなかったです。幸いにも(?)実家を出て一人暮らしだったので父親にバレてませんでした。知っているのは母親と自分のみ。
夏休みの時期になり、改めて母親に「親父に言われて大学に進学したけどやっぱり専門学校に行きたい。行けなかったらずっと根に持つと思う」と伝えました。
もしかしたら、その時の自分にとっては専門学校に行くことそのものが目的になっていたかもしれませんが、とにかく専門学校に入りたかったです。
夏休みの時期、父親に「自分が大学に行ってない事」、「大学を卒業する気がない事」、「ゲーム制作系の専門学校にどうしても行きたい」意向を伝えました。そこから更に色々あって結局父親が、当時としては珍しいゲーム制作系専門学校に近いカリキュラムの学部のある大学を見つけ、そこを勧めてきました。お互いに最後の妥協案だったと思います。偏差値は決して低くはなくそれなりに勉強しないと入れないだろうとは思っていましたが、「ゲーム制作の勉強ができるなら大学でもいいか」と気持ちを切り替えました。最初の大学は中途退学し、夏休み明けから予備校に通うことになりました。
そもそもおバカだったので受験勉強のやり方がわからない
本来なら4月から予備校に通うところを9月から通いはじめ、途中から参加するカリキュラムについていけませんでした。高校時代に勉強してきたわけでもなく下地が無いので、あっけなく予備校も不登校になりやしたぁ!そもそも勉強の仕方が分からない!何が分からないのかが分からない状態なので、それはそれで挫折しますね!ほとんど勉強らしい勉強をしないまま受験シーズンに突入です。
自分的にも感覚的に無謀だと理解しつつも受験に向かいます。当然落ちます。が、その大学の別の学部には補欠という形ですが合格になりました。しかし文系のよくわからない学部…。絶対に行かないわ!って思ってました。ところが行ってしまいました・・・。その時の気持ちとしては、もう苦手な受験勉強をしたくなく、とにかく大学を卒業してから約束通り専門学校に行かせてもらおう、と考えていました。やけくそ感。
行く理由が無かった大学を卒業、そして就職へ
色々あって完全にゲーム開発とは関係のないド文系大学卒業までこぎつけましたが、その間に色々あり・・・要は誘惑の多い環境に飲まれゲーム開発をしたいという情熱はなくなっていたのです。環境で人は変わるといいますがまさに自分がそうでした。本来なら大学卒業後は専門学校に進学する予定でいましたが、学生でいることに疲れていたので、消去法で就職する道を選びました。
就職先はゲーム業界とはまったく関係の無い業界でした。特に仕事への情熱や志しなどなく、適当にやっていました。その結果、ちょっとでも嫌になったら辞めてしまいました。そんなこんなで会社を転々とする会社員人生でした。最初に就職してから7年間で7社を渡り歩く放浪っぷり・・・。試用期間や2日で辞めた等を含めると12社を経験したことになります。直近の会社こそ勤続年数10年でしたが、それもある意味会社側からのお情けがあったからです。
といったように、まともな経歴もなく迷走し続けてきました。最初にゲーム制作系専門学校に行けなかった躓きからここまで人生おかしくなるとは・・・。もっとも、ゲーム制作系専門学校に行けてたらまともな人生になってたかは不明ですが、目標に向かって進むことすらできなかった悔いはどうしても残っています。
40歳を目前にどうしてもゲームクリエイターになりたくなった
しかしこのまま夢で終わらせたくない。なのでもう夢を実現させるしかない!私は色々な会社を転々としましたが、だからこそ結論が出た。
やはりゲームクリエイターになりたい!というかゲームクリエイターとして生きるしか道がない、と思うようになりました(そのきっかけは下記に記載していきます)。
高校を卒業してからこれまでの人生が上手くいかなかったのは「あの時、希望した進学先を拒絶した父親のせいだ」と思い、事あるごとに父親を恨んでいました。しかし恨んだ所で何も変わらない。ならば恨む時間を自分のやりたいことに費やした方がいいだろう、と気持ちを切り替えました。この時私は、作業着を着て物理的に汗水流して働くいわゆるブルーカラーの仕事をしていました。激務でありながら薄給。こんな環境で働くことへの嫌気と失望もあり「このまま人生が終わるのは嫌だ!」という一心で私は諦めていたゲームクリエイターへの道を再び目指そうと決意しました。
ゲームクリエイター道へ導かれし私
正確には私がたまたま本屋に立ち寄ったときにUnity関連の本と偶然出合ったところから、ゲームクリエイターへの道を目指すことになります。立ち読みしながら中身を確認し「これならもしかしたら自分にもゲームが作れるかも・・・!?」と、ある種のショックを受けました。
自分でゲームを作りたくて大学時代には独学でC言語を覚えましたが、コマンドプロンプトに「Hello World!」を出したり、計算結果を出したり、入力した数字を順番にソートしたり・・・しかできず、「ゲーム画面を作ってキャラを動かすようにするにはどうすればいいの?」状態でした。
C言語の本を色々読み漁りましたが、結局欲しかった答えは見つかりませんでした。ゆえに当時はもはや独学でゲーム開発することは諦めていました。
ところが時代は変わり、Unityのおかげでやる気さえあれば誰でも個人開発者としてゲームを制作できるようになっていたわけです。私は早速そのUnityの本を購入してUnityを使い始めました。
それから数ヶ月経ち、それなりにUnityを使いこなせるようになってきました。ふとUnityでゲームを作ることを楽しんでる自分に気づき「やはり自分はゲームクリエイターになるべき人間だった」と確信すると同時に「ゲームクリエイターとして生きるしかない」とも悟りました。
ゲーム業界未経験だからこそ独立する決意
まったく業界違い、畑違いの仕事をしてきた経歴ボロボロのアラフォーが未経験からゲームクリエイターになるにはどうしたらいいか。たいていの場合「そんなの無理!」と言って諦めそうですが私は諦めない!というかゲームクリエイターになるしか生きる道がないですから!
まずゲーム会社に就職するのは厳しい。これはさすがに誰でもわかります。独学で学んでいるとはいえ、開発経験があるわけでもなく、専門学校で学んでたわけでもないアラフォーをどこが雇ってくれるのだろうか・・・と。せめてあと10歳若ければ・・・とも思いましたが無駄な考えなので引っ込めます!
そこで、就職が無理なら独立、起業すればいいんだ!と思ったわけです。就職がすべてではないですから。思い返せば自分はゲーム会社に就職するのは手段であって目的ではなかったのです。就職に拘る必要はなかった。ゲームクリエイターとして活動できればそれでよかった。
長くなりましたが、結局のところ私は「独立したい」というよりも「独立するしかなかった」パターンというわけでした。もちろん独立したところで稼げなければ続けていくことはできないのは当たり前です。ましてや個人ゲーム開発者として稼ぐことは相当の難易度なので大変!ですが、そこはもちろん勝算アリ!ですのでご安心(?)下さい。もし機会があればその部分についてお話できれば、と思います。
結論!今はやろうと思えば何でもやれる時代!言い訳はせずやってしまおう!そして楽しい人生を歩もう!
※この記事は2025年12月31日に加筆・編集しました。


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